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当日の様子 1日目 | 当日の様子 2日目 | 参加者の感想 |
報告書(PDF/1.77MB) |
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朝早くから元気いっぱいの増田師範とともに、早朝ジョギングを楽しみました。
地元の方がたくさん参加しました。
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茅葺の古民家で、蜂谷師範の指導の下、お香を体験しました。
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黛まどか師範の「愛の句碑のある愛の村・飯舘で、万葉時代の歌垣の復興をしてみよう」という呼びかけから、平成の御世に詠みがえった歌垣の世界に参加者は誘われました。
上野誠師範がユーモアを交えながら、歌垣について解説しました。
・歌垣とは、歌を掛け合う「歌掛け」。短歌も俳句ももともと掛け合うものだった。
・歌垣がうまくいくコツは、上手な歌を作ることではなく、時にはわざと下手な歌を作って相手が返しやすい歌を詠うことである。
このたび平成に甦った歌垣は、
(1) あらかじめ掲示された問歌・問句に対してまず参加者が答歌・答句を返す。
(2) その中から、黛師範と上野師範が3,4首・句を選ぶ。
(3) それぞれの答歌・答句の詠み人を明かさない状態で、問歌・問句の詠者が一首・句を選ぶ。
というやり方で進められました。
詠み手が詠む合間には、榎戸二幸さんのお琴の効果音が入り、より一層万葉の空間が再現されました。
まずはじめは、菅野村長からの
わが村の自慢の種は住む人の までい心とあいの句碑みち
の問い歌に対して、
千葉県からの参加者、市原さんの
飯舘はゆったりまったり雲流れ愛の人垣母のぬくもり
が選ばれました。
いきなりのカップル誕生で会場は大いに盛り上がりましたが、市原さんの旦那様の複雑な表情が印象的でした。
他の秀歌は、
飯舘で分けてもらったまでいの種持ち帰ったらどう咲かせよう
飯舘の山の野菜も自慢の種子供のごとく真心こめて
次に水戸からの参加者、和田さんからの
うみねこの荒磯の岩を発てるとき飛べないふたり海を見てゐる
という問歌に対して、
なんと事務局長として寝食を忘れて運営にあたっていた小田さんの
白き波荒磯の岩に砕け散る二人で見たい波の行方を
が選ばれ、二組目のカップル誕生。問歌も答歌も、酸いも甘いも知った大人の歌です。
他の秀歌は、
ふたりなら荒波こえていけるはず笑みを絶やさず歩いてゆこう
猪々なべとどじょうなべとだんご汁喰いつくすれどとびたつふたり
飛べずとも瞳に映る君の微笑見ているだけで猫の恋
上野師範らしい諧謔の効いた選歌です。
続いて、その上野師範自からの
いいたての山の紅葉の色深く心は染まる君を思えば
という問歌に対して、
埼玉からの参加者、大塚さんの
ゆっくりと愛の心も染まりゆく色付く秋の飯舘村に
が選ばれました。上野師範の下心に反して、選ばれたのは男性!会場は大いに盛り上がります。
他の秀歌は、
のびやかに漂う山の風よりも踏まれて紅葉に嫉妬する我
年経れば紅葉の色のとりどりに燃ゆる想いもあせなんとする
一見取っ付きにくそうに見える和歌、俳句の世界も、このようにコミュニケーションの手段として挑戦してみると、肩の力も抜け、言葉を探して操る楽しさに気付き始めます。
ここからは選者が黛師範に代わって、俳句の部です。
まず、上野師範への答歌を見事勝ち得た大塚さんからの
飯舘に溢れる愛や星月夜
という問句に対して、元ミス飯舘と評判の地元の荒さんの
逢ひたくてただそれだけや星月夜
が選ばれました。いやはや美しすぎるやりとりです。
他の秀句は、
星月夜君の笑窪にそっと触れ
星月夜きみの瞳に映りけり
続いて、今回は残念ながら参加できずビデオにてメッセージを送っていただいた坂東三津五郎師範からの
かの人の足音近づく萩の風
という問い句に対して、岩手県よりいらした入月さんの
白萩の白き心に定まりぬ
が選ばれました。それぞれの句に対する黛師範と上野師範の解説の掛け合いが絶妙で、会場は抱腹絶倒のるつぼです。高橋世織師範いわく「言葉のラリー」。
他の秀句は、
走り来し息を隠して萩月夜
萩の風きみを想いて酒をくむ
月満ちてまでひの里の逢瀬かな
最後はいよいよ真打、黛師範からの
降りみ降らずみ星の合ふ夜なりけり
という問句に対して、男性からの答句が殺到しました。
候補作を詠んだ壇上の3人の男性の中から、結局南相馬市の句会の西内さんの
逢ひたくて千里馳せ来し星今宵
が選ばれました。
他の秀句は
ただ君を思ひ続けて夜長の灯
降りやめばやうやう明かし星の恋
6カップルの内、ベストカップル賞として、歌からは和田・小田組が、句からは大塚・荒組が選ばれ、飯舘村「あいの里」にそれぞれの歌を御影石に刻んだ歌碑・句碑が設置されることとなりました。
最初は「難しそう」「格調高くて入りづらい」と思われていた歌垣でしたが、飯舘村の万葉時代さながらのおおらかな雰囲気の中で歌や句を作り、黛師範と上野師範の名司会、名解説の下に各々の詩歌の言の葉を味わいながら、改めて日本語の豊かさ、深みを楽しみながら再発見させていただきました。自らの言葉に磨きをかけて再挑戦したいと、参加者一同は思ったのではないでしょうか。
「平成の歌垣」。日本再発見塾の新たな目玉になりそうです。
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二日間の日本再発見塾のまとめです。第二部で体験をし、交流会で語り深めた、各グループからの報告と、呼びかけ人・講師陣からコメントをいただきました。
司会進行はNPO法人樹木・環境ネットワーク協会の理事長を務めている、運営委員の澁澤寿一氏。澁澤氏は、ここ40〜50年くらいで地球の環境が大きく変わったこと、機械化が進み、多くのエネルギーが消費されていることを語りました。
「人間は他の生き物の命を食べている。太陽の光は必ず地球に入ってくる。富士山に換算すると1年間に400杯分のエネルギーが入ってきている。人間は太陽の光を食べることはできませんが、植物が食べて成長します。そして人が植物を食べます。ここ飯舘村は貧しい生活をしていると思われますが、一番植物を食べるには近い生活をしています。文化的に誇りを持って欲しい。」
呼びかけ人・講師よりコメント
藤原誠太師範:
飯舘村で養蜂をやっている方がいらっしゃるのだが、その方と落ち着いてお話をすることが出来ずに、残念でした。
蜂谷宗師範:
ハチの話つながりで蜂谷です。今回の「までい」のようなイベントをブームで終らせて欲しくないです。時代に合わせているところもありますが、根本がかわっていないことが大事です。
野ア洋光師範:
私たちは手で食べません。他の国では手を使って食べます。これは文化です。生活の中で、楽しみや喜びを感じて文化でできるんですね。
富澤貞身師範:
飯舘の食材のエネルギーを感じました。パワーがあります。それは料理を食べた人にも伝わったのではないでしょうか。東京で仕事をしていますが、生産者の気持ちがわかって、これからそれを伝えたいです。
山村レイコ師範:
つくりあげることの大事さを実感しました。水や食べ物がどこからきて、どこへ行くのかがわからないと困ります。不安です。これは自分がどこからきて、どこへ行くのかと同じです。分からなくなって、見えなくなって東京を離れたのですが、今少し見えてきて、食べ物が回り始めると全部が回り始まりました。それから「歌垣」に参加して久しぶりに心の底から笑いました。
黛まどか師範:
万葉集にも笑いの歌が多いんです。昔の人も笑いを大事にしていました。「紅葉」という言葉ひとつをとっても日本にはたくさんの色や風景の表現する文化があります。「照紅葉」でけでなく、「薄紅葉」とは、初秋のややに色がつき始めた紅葉です。言葉を知ることで見るものが増えます。これは日本人が盛を愛でるだけでなく、うつろう様のすべてに美しさを感じ表現することができるからです。日本人独特の美意識です。昔はお花見に行くときはお着物を新しくつくっていったものです。つまり数ヶ月前から花見への助走がはじまっていた。その間は「までい」に生きていたわけです。今のように桜も見ないで宴会をするのとは違います。
佐川旭師範
「カタチ」とよくいいいますよね。でもこの「カタチ」には「カタ」と「チ」があって、建築家として「カタ」ばかり作っていないか考えました。「チ」の部分、人間の心意気、巧みを「カタ」に入れ込みたいです。
高橋世織師範
言葉はすばらしいです。人と人を結びつけます。今、温暖化とよく言われますが、あんまり好きではないです。弱い言い方です。「高熱化」とかもっと実態を表したいい言葉があります。ここから食べ物と同じように、フードチェインのように言葉がつながっていくので、考えないといけません。21世紀はこれまでの人類が体験したことのないことを全員が考えないといけません。
上野誠師範
「歌垣」が盛り上がってよかったです。カラオケで歌っても誰も他の人の歌を見たり聞いたりしていませんよね。さきほど加藤秀樹さんから「金かけずに笑えるんですね」って言われました。本当にそうですよね。これでお笑いの吉本とか呼んだら笑えるけどお金がかかって、笑えない話になります。歌垣はカラオケと違って双方向だから笑えるし、聞いてくれてるんです。
加藤秀樹運営委員
地元の言葉をひとつ新しく教えてもらいました。ここにポスターがたくさん貼ってあります。準備の段階で「までい」の言葉のバックにクルクルとしたマークをいれるかどうか事務局で話し合ったんですね。結局これでいこうとなりました。この二日間僕は成功したと思うんです。それで先ほどここの地元の人から、このようにうまくいったことを「ガンマル」っていうことを聞いた。この「までい」の後ろのクルクルが「ガンマル」です。
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黛まどか呼びかけ人代表がまとめのあいさつをし、地元達人・実行委員会たちがそれぞれお礼のあいさつをしました。地元達人の高野チヨ子さんが「みなさんの前で話をしたことは一生の思い出です。これからも自信を持って生きていきたい」と感激で涙ぐみながら語り、会場の涙を誘うと共に、大きな拍手が送られました。
最後に、飯舘村の永澤清さん(88才)がひとつひとつまでいに手作りしたミニわらじが参加者全員に終了証として配られました。
第三回日本再発見塾は、ていねいに一生懸命生きる、飯舘村の「までい」な生活を体験出来た、二日間でした。
飯舘村の人、さまざまな地域から参加した人、皆にとって自分たちの生活を見直すような発見のある二日間になったことでしょう。