波佐見町について | 関係者一覧 | タイムテーブル |
当日の様子 1日目 | 当日の様子 2日目 | 町民プログラム |
参加者の感想 | 報告書(PDF/34.1MB) |
◇
2日間にわたる波佐見町での日本再発見塾を無事終え、町外の参加者を送り出した後、日本再発見塾師範の皆さんと波佐見町民の特別プログラムを開催しました。町内からは約100名の町民が集いました。まず最初に、コーディネーターを努めた後藤運営委員よりこの会の趣旨説明があり、続いて、参加した師範から、波佐見町で過ごした2日間を振り返り感じたことについて、また、分科会・全体会で言い足りなかったことも含めたコメントの発表がありました。その後、参加者アンケート、町民のみなさんからの意見、感想へと続き、大いに語らいは盛りあがりました。
●後藤健市さん(運営委員)
日本再発見塾には各分野でご活躍されている著名な師範の方々も来られているが、塾の運営でご多忙だったこともあり、町民の方と十分な交流ができなかった面もあるかと思います。「手作りしてみらんね、幸せに手の届くばい」という素晴らしいテーマを掲げた波佐見での日本再発見塾でしたが、この2日間を振り返ってみて感じたことや疑問に思ったことなどについて、せっかくの機会なので、師範の方々とじっくりと意見交換し、振り返りたいと思います。
●三好礼子さん(エッセイスト・国際ラリースト)
先ほどの分科会では皆さんからたくさんアイデアを頂きましたが、その中のアイデアを一つご紹介します。まず、農業や窯業の担い手として、また町の将来の支えともなる若い人のIターン、Uターンを増やすことが大切で、そのため、プロジェクト的に、農業を三日間やり、残りの日を窯業にあてるといった仕事の仕方ができるような受入れをしてはどうでしょうか。いきなり農業、窯業だけを専門にやるのも難しいので、こういうやり方で、人を育ててみる、これは面白い提案だと思いました。私の住んでいる静岡県富士宮市でも、以前は子供も少なかったけれど、最近は、Iターンなどでよそ者が多く移り住むようになり、子供も増えて、お祭りもとても賑やかになっています。そして、お年寄りの知恵も若い世代に伝わっています。ぜひ、若い人を呼び込んで、波佐見町の素晴らしいものを子や孫の世代にどんどん伝えていっていただきたいと思います。町歩きをした中尾皿山は、宝船のようところでした。潜在能力が高いので、少し工夫を加えるだけで、もっともっと面白い地区になると思います。実際に器を作っているところを少し見せていただいただけで、器への意識が大きく変わり、「これはすごい!」と実感しました。波佐見の魅力をどんどん外にも伝えていくといいと思います。波佐見万歳!すごく感動しました!
●藤原誠太さん(養蜂家)
「ミツバチの健康な場所、地域は人間も健康」と言われています。また、真偽は定かではないですが、「ミツバチがいなくなると三〜四年で人類は滅亡する」とアインシュタインが言ったという話もあるぐらい、ミツバチと人の生活とは密接に関わっています。また田んぼやお茶畑の近くにミツバチの巣箱を1年置いて、ミツバチが元気であれば、そこで取れたお米やお茶を「ミツバチ元気米」、「ミツバチ健康茶」というブランドにすることもできます。ミツバチが元気に飛び回るような地域になって欲しいなと期待しています。最近、台湾や中国などからもたくさんの観光客が日本に来ていますが、これらの国でも、かつての日本のように、手仕事が失われつつあるので、逆に、今、波佐見にある陶器の技を残すことが、大きな価値を持つ時が来るし、陶器の街・波佐見の情報を英語や中国語でどんどん発信することで、こうした国々からの来訪も期待できると思います。
●エバレット・ブラウンさん(epa 通信社日本支局長)
報道写真家をしつつ、房総半島の古い農家の家に住んで、田んぼを耕し、古い蔵を改造し人が泊まれるようにしています。また、妻が料理研究家で、週末だけ田舎料理を提供するカフェを営業しています。村の暮らしに魅力を感じて、若者がどんどん引っ越してきているが、専業農家として暮らすのは厳しいため、半農半Xという考え方で、半分が農業、残り半分がものづくりや民泊をしたり、インターネット関係の仕事をしたり、という人が増えてきています。波佐見は日本のやきものの故郷。これを全国だけではなく、世界にもっとPRすればいいと思いました。今はインターネットの時代なので、格好いいホームページをつくるだけで、たくさんの人が訪ねてくるのではないでしょうか。海外の旅行者が日本で最も期待しているのが食事ですが、スシやてんぷらだけでは飽きてしまいます。より農的な暮らし、「本物」を求めているので、昨夜の交流会で出していただいたような、地域ならではの、昔ながらの食事を提供すると、喜ぶ人が多く、大人気になると思います。私は、ウーフ(WWOOF:Willing Workers on Organic Farms の略。) のホストをやっています。このウーフは、有機農法をやっている農場の世界的ネットワークで、繁忙期に働き手が欲しいホストが宿泊を提供する代わりに、有機農業を手伝いたい・学びたいと思っている人がその農場で一定時間働くといった相互のニーズをマッチングさせるネット上の仕組みで、田植えや稲刈りの忙しい時期に若い人が来て手伝ってくれることが大変助かります。こうした制度も上手に活用されるといいと思います。また、西の原エリアで、古いやきもの工場を改造して若い人がやっている喫茶店や雑貨店は、とてもいい雰囲気で、魅力的でした。こういう場で、芸術のための一週間といったイベントをやれば、間違いなく全国から大勢の人がくると思います。
●野ア洋光さん(料理人)
半農半窯の話ですが、昔は、農家が職業を2つ持つというのは当たり前のことでした。生産したものを加工することにも取り組むと良いのではないでしょうか。例えば、窯業で働く人の弁当を農家の方が自分達が育てた農産物を生かしてつくり、それを盛り付けるお弁当箱は、窯業の人が自分達で作った容器、器が6つ入るような小箱でできたお弁当箱で持ってきてもらうのはいかがでしょうか。こうしたうらやましさを外に売っていけば、器も売れるようになります。農産物の加工と器の活用を上手にやり、波佐見の利点をもっと生かしていくと良いと思います。作りたてを食べると美味しいし、健康にも良いので、今しか食べられない、といった付加価値つけて売っていけばよいのではないでしょうか。波佐見はコンパクトな街として発展できる可能性を秘めていると思います。
●高橋世織さん(国文学者・文芸評論家)
敗戦国がGNP第二位まで、これほど短期間で発展した国は歴史的に見ても稀です。一方で、1960年代から急激な高度経済成長に伴う公害などの弊害も発生し、未だこうした弊害の残響が見られます。20世紀にあって無視したりばかにしたものを、もう一度見直してみることが必要です。現在、地球の人口は約66億人、90億人以上は地球号には乗れないと言われています。20世紀には大きいことがいいこととされてきましたが、この町を見て、町の規模では理想的なサイズ、大きさだと思いました。ジャン・ジャック・ルソーが18世紀後半に、波佐見の町とほぼ同じくらいの規模の都市であった当時のジュネーブで、社会契約説を考えましたが、その中で「声の届くところ」といった章があります。声を発した時にどこまで共同体の中で声がとどくのかということを論じています。また、最近の子供たちは、笑い声を出さなくなりました。日本には、狂言・落語など昔から笑いの文化が豊かなのです。笑うという言葉は、高笑い、ほくそえむ、鼻で笑うなど、約150 種類もの表現があります。笑いがなくなれば種としての人類は絶滅するとも言 われています。理想的な規模の、笑いのある町・波佐見を波佐見モデルといったカタチで発信していけばいいのではないでしょうか。
●塩野米松さん(作家)
最近、年に二〜三回ずつ中国を訪れ、中国の芸術大学の大学院の学生達と論争することが多いです。なぜ呼ばれるようになったかというと、1999 年に、中国では自国の民間の工芸力を高めないと、自分達の技術が追いついていかないということに気づいたからです。先月、「民間の工芸力」というテーマで面白い論争をしたのでご紹介します。匠という言葉をどう解釈しているかを議論しました。大工や左官など「ものを作る人」を匠と呼んでいますが、この人達を中国人にどう見ているかと聞くと、汚くて、貧しくて、文化が遅れている人達、と見ています。一方、日本人はどうかというと、ものを作れるということで、尊敬している、貧乏かもしれないがやっぱり尊敬しているとのことです。尊敬しているということが、「匠」という言葉の中に含まれている。中国の学生達にそのことを聞くと、尊敬とか誇りという意味は「匠」という言葉には含まれていないという回答がありました。民間の工芸力というのは、実は、芸術の母体で、ここをいかに大きくもっているかどうかで、その国の芸術力・技術力に大きな差が出てくると思うと私は話しました。その上で、中国の学生達に、どう思うか尋ねたところ、「自分達は芸術大学の学院生で、デザイン力に優れている、現代風のデザインにすることができる、自分達は新しい技術を自分達のアイデアでやっていくことができる、それが芸術のひとつの力だ」と言っていました。その言葉を受け、私が言ったのは、「あなた達は23、24歳で、あなた達が考えるデザインは、300年、400年間物をつくり続けてきた人達からみればほんのゴミのようなものだ。そのゴミが全てを握れるなんて思うのはおこがましい。私達日本人は、「匠」達は物をつくって偉いと思うし、「匠」達も、一生懸命努力して、修行を積んで、物を作れるようになるまでに修行にたっぷりの時間をかけて、あの地位にいます。周りの人が尊敬するから、それに応えなければいけないとの思いがあるのです。尊敬に応えた匠達はすごいから皆で尊敬します。これを積み重ねて、日本のものづくりの背景は作られているのです。」ところが中国の学生達と話をすると、ここの部分に大きな欠落があります。これが日本と中国の民間のものづくりに対する大きな差ではないかと感じました。波佐見には物をつくる人を尊敬する力があります。波佐見の人は、農業にしても窯業にしても、ものをつくるということを側に置いて、日々の仕事をなさってきています。この土壌の大きさと力が、結果的にものをつくる時の一番の基本になります。それをこの町が持っているということを土台にして考えることが大事です。また、昨日、町のお年寄りの三人の方々に舞台でお話をしていただきましたが、「今が一番幸せだ」とおっしゃいました。去年聞いても、恐らく、同じことをおっしゃっただろうと思います。毎年、今が幸せだと思いながら生きていらっしゃるのでしょう。彼らの人生は、幸せの年輪でできていると思いました。
●佐川旭さん(建築家)
家づくりでは、団欒を第一に考えることです。それでは、団欒とは何でしょうか。私は親が60年、70年かけてたどり着いた言葉を伝える場だと思います。こうした言葉をまとめていくと、まちづくりに深みが出てきます。古い建物や地域で長く伝えられてきた食物などにも、「還暦祝いの建物」「70 年間愛され食べ続けられてきたものです」といったプレートをつけることから、まちづくりをスタートしてはどうでしょうか。街の歴史がわかってきます。また、器だけで売っていてはダメです。生活スタイルの中の器を考えることが大事です。生活スタイルがどう変わっているか、その中で器はどうあるべきか、といったトータルな視点で考えていくとよいのではないでしょうか。
●上野誠さん(国文学者)
カンボディア・ア・ボーブラー。(町長や参加町民が復唱)カンボディアもボーブラーもポルトガル語で、カンボディアは現在の「カンボジア」、 ボーブラーは「瓜」のことです。長崎や西日本の人には「ボーブラ」という表現が残っています。この言葉が残っていて、「ぼうぶらずうし」が あるわけです。例えば、師範の野アさんに味付けをしてもらって、青山のレストランで、リゾット風にした「ぼうぶらずうし」を、波佐見焼の器 に載せて売る。プロデュースは野アさん、語りは私がする。そうすれば、青山のレストランで一皿1,200円で売れるでしょう。今あるもののいわれを掘り起こし、ストーリー付けやちょっとした工夫を加えることで付加価値を高めることができると思います。これをきっかけに、こうしたことに取り組まれてはいかがでしょうか。
運営委員の高津尚志さんより、町外の参加者による「波佐見町で感じたことアンケート」回答のとりまとめが紹介されました。
再発見塾全体を通してどうだったか。
非常によかった71.6%、よかった28.4%
波佐見町で自主開催される塾参加について
参加したい71.1%、未回答24.7%
この町に来てみて、心に残ったこと
■明るい、おしゃれな街でした。煙突や橋の陶器の飾りもとても素敵だと思います。
■採石場跡や登り窯跡など歴史上、役割を終えたものと一緒に今の暮らしや生産活動の場が存立して
いること。
■町の住民の皆様とのふれあいが多く、民泊の方々には気持ち良い経験となりました。大変お世話になり、朝ご飯をとてもおいしく頂きました。
■棚田の美しい風景と平野部ののどかな景色。昔の重労働が大変なものであったことを痛感。一方で窯業の衰退の厳しい現実に向き合っている人たちの前向きな姿に安心感を得た。「本当の豊かさとは何か」を改めて考えさせられた。
■家族、自治体、地域間の結びつきがあり、いわゆる「人間社会」ができていることは、首都圏の生活とは大きく異なる。
■波佐見焼の発祥の地としてPRをし、Iターン、Uターンの若い人たちを引きこむことも考えていいのではないでしょうか。
■棚田の、えも言われぬ良さ。その場所でのつきぬける解放感。
■皆様方で協力し、この塾のために一生懸命に接してくれたこと。
■ホスピタリティー。(もてなしの心)
■やきものを作る手間とコスト。
■文化意識が非常に高いということ。
■みんなが支え合う町。町民のまじめさとやさしさ。
この町で、これからも大切にしてもらいたいもの、ことは何?
■仕事での横のつながりの太さがそのまま町の関係の強さにつながっていると感じた。
■若い人のやる気。
■中尾皿山を見学させて頂いて、手作りの良さを改めて感じました。波佐見でしかできないブランド、これからも大切に守ってください。
■窯はいつまでも手作りの良さを活かし、決して機械的・大規模にならず、棚田を守るのはかかしで、人の波で賑わうことなく、町の中の人たちのつながりがいつまでも続きますように。
■三股地区は本当に素晴らしい!精神文化を感じます。
■一緒に住んでいる若い世代に、波佐見に残っている文化をしっかりと受け継いで、継承してほしい。
■人と人の結びつきや暮らしの中で価値を作り出す幸せの感受性。
■伝統にさらなる磨きをかけて村おこしにつなげてください。
■やる気。変化への勇気。
■生活様式が変わってきたので、せっかく陶芸の技術を守りつつそれを何か新しい物作りに技術をいか
してもらいたい。
■地区毎に受け継がれた伝統(文化、芸能)を若い世代の人たちが理解し、次の世代へ伝えるという責
任感を持って頂きたい。
■波佐見町の魅力を日本中に発信して欲しい。
■協力。農業と窯業の連携をどう作るか。
■農業にせよ窯業にせよ、手間をかける大切さと、そのためのコストとグローバル化との両立の探究。
◇
○廣田和樹さん(町民)
今回、日本再発見塾に携わり、波佐見が大好きになりました。特に、日昼に訪れた鬼木棚田は大人の遠足みたいで最高でした。あの風景の中、波佐見焼のプレートで食すること、こうしたことを波佐見町の皆に味わってもらいたいと思いました。皆が波佐見をもっと好きになれるような楽しい塾ができて本当によかったです。
○小林善輝さん(町民)
今回の日本再発見塾の開催を通じて感じたことは、波佐見町は、団体や地域単位の個々の行事は問題なくできますが、色んな地域や取組を一つにまとめ、外に向けて発信することが、まだまだ弱いと感じました。どうコーディネートして上手く外に伝えていくかがこれからの課題だと思います。また、外からの評判が出来てくると、行事に若い人も入ってくるのではないかと思います。今後も、師範の先生方の所に訪問させていただき、外への情報発信にお力添えを頂ければありがたいと思っています。
○尾崎久美子さん(町民)
波佐見の多くの女性の皆さんの協力があり、成功することができました。今回、主に取り上げられたのは東の方の地区ばかり でした。南の方の地区は、川がコンクリートでかためられるなどしているので、南の方もできるだけ原風景に近い形に戻していけば、波佐見全体で観光ができるようになるのではないかと感じました。また、南の地区でも、米や大豆など色々なものが採れるので、それらを生かして何か出来ると思いました。
○児玉盛介さん(町民)
波佐見の経済は大変厳しい状況で、やきものの売上も1/4、1/5 に減少しています。これからここで暮らしていく若い世代のためにも、この地域に収入が入ってくるシステムをどう作り上げていくかが大事だと思っています。その際、波佐見の特色である窯業を中心に据えながら、新たなスモールビジネス、生業になるビジネスをどう作り出していくかを、真剣に考えていかなければいけないと思っています。波佐見にある窯業を生かし、ある程度の収入があって、何とか暮らしていける仕組みをどうつくっていくか考えています。そのひとつに、波佐見焼という地域のブランドを広めていくことがあります。ここ4〜5年、一生懸命にやっていますが、これにぜひご協力をいただきたいです。もうひとつは、400年培ってきた技術、技能の継承ができる仕組み、技能を伝えることが収入になる仕組みも作っていく必要があると思っています。また、若くて元気なIターンの若者を呼び込み、世界に情報発信する仕組みづくりを、先生方の知恵、協力を頂きながら進めていきたいです。
○高津尚志さん(運営委員)
世界と関わるビジネスの世界に20年程いた者として強く感じたことがありました。昨日、三股を訪れましたが、産業の川上から川下まで、 石を掘るところから藁で包むところまで見られるのはとても面白かったです。あのエリアに魅力が凝縮されています。アンケートでも、テ ーマパークにしてはどうかとの意見もありました。一方で、それは、今までのものを守るということでしかありません。ここで新潟の燕市のことをご紹介します。皆さんの燕市のイメージは、フォークやナイフを世界的に輸出して一時非常に栄えた町ということだと思いますが、ある時 期から韓国や中国の企業との競争で厳しい状況に陥りました。今は、電子部品を造っています。実は、燕市は洋食器をつくる前は、日本建築に使う和釘を作っていました。釘からなぜナイフやフォークになったかというと、金属の加工技術が自分達の中核の強みだと考え、和釘にこだわらなかったのです。だから、フォークやナイフがダメになった時に、電子部品を造ることに移ることができました。波佐見の方は、窯業や器づくりが強みだと思っている方が多いと思いますが、それを盛り立てることも重要な一方で、それを支えている自分達の強みってなんだろうということも考える必要があります。鋳型を正確に、滑らかなものを作っている技術や、三股ひとつひとつの家が、作業しやすいように連携がとれていることなど、こうした点に、波佐見が新しいものを造っていく、新しい産業になるための強みがあるのではないでしょうか。こういう観点からも再発見してはいかがでしょうか。
○亀井善太郎さん(事務局)
波佐見の方とお話していて少し気になるのは、波佐見には何もない、波佐見は有田によっかかって生きてきたと言われることです。料理も何もないから、とおっしゃっていました。人形浄瑠璃もあり、波佐見のやきものも皆さんが感動されます。これは、波佐見の皆さんが知っていた波佐見とは違うものを見られたのだと思います。提案ですが、今日、ここにいる人はこれから、「波佐見はこんなにいいところだから、おいで」と波佐見の自慢をしてください。そうでなければ、今日、達人の人に「また来てね」といっても多分来てくれないと思います。「来てもらう」きっかけは、達人の側にあるのではなく、今日ここにいる皆さんに、皆さんのお子さんやお孫さんにあります。そういう環境を作って、皆でやっていくことが波佐見を元気にする秘訣だと思います。その元気を私は波佐見のお母さん達から頂きました。ありがとうございました。
○藤原誠太さん(養蜂家)
若い人が何かやろうとしている時に、ダメというのではなく、温かい心で、こういう方法ならいいよといったアドバイスをする、目の届く範囲でトライさせてみる、というようにしていただければと思います。
○エバレット・ブラウンさん(epa 通信社日本支局長)
波佐見での日本再発見塾には、地元の若い人の参加がすこし少なかったが、若い人は間違いなく皆さんの背中を見ています。
○深澤清さん(町民)
全国から文化度の高い先生方に来ていただき、双方向のイベントをしたのは、初めてのことで、こういうことを望んでいました。これをきっかけに、今後も、ぜひボランタリーで波佐見に来てほしいです。先生方のお話をお聞きし、地域の活性化に取り組むにあたって、観光ありきではなく、交流と語り合い、コミュニティづくりを進めることが大事だということ、また、それを進めることが結果として、観光にもつながっていくということが身に沁みて分かりました。
○後藤健市さん(運営委員)
若い人に格好いい背中をどうみせるのかは、地域づくりをする上で一番重要なことだと思っています。先日、三条市を訪れた時に、三条市のある企業が、鋳型というその地域にある技術を使って鍋を作っていて、世界でいま一番売れている鍋を越えるだろう、そうなると、恐らく1,000 億円企業になるという話を聞きました。視点や手法には工夫は必要ですが、モノをつくっているところにはこうした可能性があるのだと思いま す。まずすぐできる波佐見への恩返しは、甲子園に応援にいくことです。春の選抜甲子園に、波佐見高校が99%の確立で出場する予定で、出場の際には、町をあげてバスで甲子園に応援に行くと思うので、特に、学生諸君には、甲子園に気合を入れて応援にいって頂ければと思います。
○村島亨さん(地元実行委員長)
天気に恵まれ、また、昨日の交流会を見ても分かるように、食に関してもすごく美味しい!と言ってもらえたりと、来ていただいた方にとても喜んでもらえました。波佐見のいい印象をもって帰っていただけたと思います。先ほどの放談会では波佐見の印象について、また町民プログラムでは、今後の波佐見の方向性とアイデアを頂きました。これらを大事にして、今後も町づくりを進めていきたいと思います。ありがとうございました。
以上で第六回日本再発見塾in 長崎県波佐見町の幕が降ろされました。波佐見町民の皆さんとともに、波佐見町や日本のこれからを、そして私たちの暮らし、幸せを考える良い機会となりました。地元実行委員会の村島委員長お話のとおり、今回の塾をきっかけに、波佐見町は町にあるもののよさを見直しながら、まちづくりを進めていってもらいたいと思います。
◇